瑞浪市・大湫宿・中山道(18・10・13)





大湫宿の石碑

高札場

神明神社のご神木、樹齢約1300年の杉

犬矢来で覆われた壁


組み立て中の山車

車輪が外輪式で木柵(輪懸け)で覆わている

皇女和宮の歌碑

旧森川訓行家住宅(通称:丸森)

国道19号線を恵那方面に向かい、JR中央本線釜戸駅に入る中大島の交差点を左折、県道65号(旧中山道)の急な坂道を約3キロ程上って行くと大湫宿に着きます。

慶長9年(1604年)に新設された宿場で、尾張藩領です。大湫宿(おおくてしゅく)は、「大久手宿」とも書かれ、中山道47番目の宿で、美濃国で最も高所の宿場です。大湫宿内は、東の寺坂下から西の高札場まで宿長3町6間(約340m)、戸数としては70〜80戸で、その内旅籠屋は35軒位あったようです。文久元年(1861年)10月のに公武合体を目的とした、『皇女和宮御降嫁』で和宮親子内親王の宿泊地となりました。

訪ねた日は毎年10月の第1日曜に行われる大湫秋祭りの前日で、山車を保管している倉庫の前で、祭りに引き回される山車の組み立て準備が進められていました。 この山車は、明治三年に尾州徳川家の家老・成瀬氏(犬山城主)所蔵の犬山祭用の物を譲り渡されたという由緒のあるもので、名古屋型の山車です。車輪が外輪式で、木柵(輪懸け)で覆われている珍しい形です。因みに神明神社並びに白山神社のお御輿には、徳川家の葵のご紋が入っているそうです。

「カフェ 清涯荘」からも割と近いし、妻籠宿、馬籠宿、奈良井宿などの有名な観光地とは一味違った宿場歩きもたまにはいいかもしれません。屋号を掲げた町並みが風情を感じさせ、江戸時代の宿場の姿が目に浮かぶ様です。


HOME CONTENTS