静岡県浜松市北区引佐町的場742

左が主屋(おもや)

右が釜屋(かまや)

屋根と屋根の間には太い雨樋

火を使うので釜屋の上には水の文字

釘は一本も使ってない

主屋の様子

縁の下は向こうが見える

裏山から見た様子

建物を傷めるからと伐採された杉

平成19年6月18日に県の重要文化財から国指定の重要文化財に格上げされた鈴木家住宅。久し振りに古民家好きの私を楽しませてくれました。場所は国道257号線沿いの山の中。辺りは花材に使われるクジャクヒバやセッカンスギなどの栽培が盛んな地域で、目立つ看板が立っているので気を付けていれば分かります。
私が到着した時、丁度現在のご当主の鈴木さんが、裏山の草取りから戻って来られ、建物の事や昔の話などを詳しく説明して下さいました。
この建物は分棟型釜屋建(ぶんとうがたかまやだて)と呼ばれ、構造的には全く別の二つの建物が、雨樋を挟んで平面上では普通の一軒の建物になっている様式の物です。特に豊川流域と天竜川流域に分布する、釜戸のある釜屋と住居部分から成る主屋とで構成されている建物は、この地方では釜屋建または撞木造り(しゅもくづくり)と呼ばれ、全国的にも珍しく鈴木家住宅もその一つです。現在の雨樋は復元されたものですが、直径は軽く40cmはあったでしょうか?中から見るとまるで梁に見える迫力でびっくりでした。
そして、もっと驚くのはほんの10年前までは鈴木さんがここで暮らしてらした事。さぞや寒かったでしょうとお聞きすると、何のことは無い、文化財に指定された時に、江戸時代の状態に復元する為に、畳や戸など全て取り払ってしまったそうです。その畳が京間サイズだったそうで、この中部地区で京間というのも珍しいので興味深いものを感じました。
この建物は調査の時に釜屋の柱のほぞから「文政三辛巳年」の墨書、そして主屋の敷居裏からは「天保拾己亥年立春造作」の墨書が発見されていて、はっきりした建設年代が確定しています。江戸末期から大正時代にかけては釜屋の格子部分の部屋で紙漉が、大正から昭和初期にかけては養蚕が盛んに行われていたそうです。釜屋の中には馬舎もありますが、鈴木さんが子供の頃はまだ馬車で材木を運んでいたそうです。その他、釜屋の方は柱に杉が一本だけ、そして主屋の方も柱にヒノキが一本だけ使われ、それ以外は栗と椎の木で建てられているなど、色んな話を聞かせてもらえました。
一番上の写真の、手前の葉を落とした大きな木は鈴木さんが植えた吉野桜だそうです。春に訪れたら、もっと美しい鈴木家住宅の姿を見ることができそうです。

2008.12.13現在


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