お雛さんの数の割に存在感はありました

有名なマンリン書店

この日は愛知県豊田市足助町に『第17回 中馬のおひなさま』を撮影に出掛けて来ました。ここ足助地区は江戸時代に伊那街道(明治以降は飯田街道)の物資の中継地点で、中山道の脇往還として庶民の生活にとって重要な道でした。
三河湾からの塩や海産物、信州からは米や煙草等の山の産物が集まる交易の宿場として栄えた地です。天保年間(1830〜43)には塩問屋が14軒も在ったと云われています。現在の町並みは、安永4年(1775)の大火後に、防火を意図して漆喰で軒先まで塗り固めた塗籠造りの町家が建ち並び、今にその面影を伝えています。
中馬と書いて「ちゅうま」と読むのですが、信州の馬稼ぎ人達が作った組合の事で、「賃馬」「中継馬」が語源と云われています。この中馬と呼ばれる人達が行き来した事から別名、中馬街道とも呼ばれています。
昔ながらの町並みを散策しながら、家の中に飾られたお雛様を幾つも拝見させて貰いましたが、どのお宅も代々大事にされてきた事が分かる位に保存状態が良かったです。この地で生まれ育った女の子たちは我が家のお雛様を皆に見て貰えて幸せでしょうね。足助地区は、春の『中馬のおひなさま』『香嵐渓のカタクリの花』夏の『たんころりんのキャンドルナイト』秋の『香嵐渓もみじまつり』と四季折々楽しめます。
因みに平成23年6月、愛知県で1番最初に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

2015年2月15日現在


こじんまりして可愛い感じでした

愛知・戦国姫隊もPR活動で散策してました

1/10の縮小版でも結構大きかった

大正時代のお雛さま

しし鍋で有名な「井筒亀」の塀に掛けて在った猪の皮

つい、目がこちらに・・・

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