サデ網による鮎漁
大きな鮎を想像していたら・・・
こちらが笠網
公式ホームページ
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奥三河に初夏の訪れを知らせる、鮎瀧の笠網漁。 TVのニュースや新聞の記事で何度か見た事はありますが、一度くらいはこの目で見てみたいと思い立ち、新城市出沢地区を流れる豊川(旧・寒狭川)の鮎瀧を訪ねました。 県道から瀧のある場所までは、コンクリートで整備されていますが、この時期、漁の解禁に合わせ下草もきれいに刈り取られていました。
現在、三百五十年の歴史ある素朴な漁法を守っているのは、新城市出沢地区の鮎瀧保存会の皆さんです。区内の4軒が一組になり、輪番制で漁を行っており、10日で一回当番が廻ってくるそうです。 瀧のある岩場まで行き、小一時間ほど見学させて貰い、その間に本日の当番である、林氏から漁や道具と、漁をするに当たっての心構え、又 見学者の心得などを聴かせて頂きました。
笠網漁とは、江戸時代に長さ約二間の竹竿の先に笠に似た網を付けたもので鮎を捕るようになったのが始まりで、当時は「鮎汲み漁」と云う呼び名だったのが、今では「笠網漁」と呼んでいるそうです。
また、いつの頃からかサデ網と呼ばれる網もよく用いられるようになり、この名前は、着物の袖に似たところから「袖網」がなまって「サデ網」となったのが由来と云われているそうです。このサデ網は小さな鮎が逃げられる様に網目の大きさの一辺は約14ミリとの取り決めがあるそうですが、この日私が見たのはこのサデ網による漁でした。
この漁は、瀧口に笠網やサデ網を差し出して、鮎が飛び込んでくるのを待つだけの「待ちの漁法」ですが、道具を改良したりして根こそぎ捕り尽くす訳では無いので、自然に対して最も優しい漁法だと林氏は笑いながら話をしてくれました。 また、こんな話もされました。『水面を境にして、下は鮎の世界、上は人間の世界、だからお互いに相手の世界を犯さない事が大事であり、これがルールだと。人間が水の中では生きられない様に、鮎は水面から上では生きられない、その生きていけない事を覚悟で飛ぶ鮎ならば、捕っても良いだろう。それが鮎に対する礼儀である』とも。
岩場にタオルを敷いて、一日中、網を瀧口に差し、鮎が入る度に網を上げ下げするのは重労働と思ったら、左足に棹の中心を置き、天秤の様にバランスを取っているから、それ程でも無いよとの事。先人の知恵が脈々と受け継がれているんだな〜と感心しました。
見学に際し注意して欲しい事は、『日の方向を見て見学して下さい。なぜなら水面に人影が映ると飛んでいる魚も飛ばなくなるそうです。』
『滝の上流200メートル以内での入水はしない。』今の時期、川に手や足を入れると冷たくて気持のいい季節ですが、匂いが水に溶けだし、鮎の嗅覚は人間の200倍と云われるので途端に飛んでいる鮎が飛ばなくなるそうです。特に香水などは厳禁だと教えてくれました。 私はどんなに大きな鮎が網に飛び込んでくるのかと楽しみにしていたら、実際には小さな鮎ばかり。何でも鮎は縄張り意識の強い魚なので、普通はどこかで縄張りを守っているもの。ここを遡上する鮎たちは縄張りを持てなかった外れ鮎たちだそうです。 保存会の方々は何とかこの伝統ある漁を残していこうと日々努力されていますが、今日は鮎漁の日だからと休める仕事についている人ばかりではないので、当番を変わってあげたり色々難しい面も多いそうです。歴史あるものを残していく事の大変さを改めて感じました。 今年は9月10日頃までの漁です。 2010.08.06現在
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