初子の祝凧 凧の搬送 揃いの法被姿
凧揚げ準備の人たち 追分町の凧 いなせな編み込みの浜松っ娘

遠州に春の到来を告げる、『浜松まつり』がいよいよ開幕。
遠州灘・中田島砂丘で、からっ風を受け今も昔も変わらぬ大迫力、凧揚げ合戦!
寛政年間(1789〜1800年)の記述も残り、永禄年間(1588〜1569年)まで遡るとの一説もある。
今では浜松まつりに欠かせない初凧・凧合戦が本格化したのは明治20年頃で、終戦後3年で復活した時は、僅か50か町だったが、今年は169か町が参加するまでに成長している。
凧は美濃和紙の大判を使い、畳2帖から10帖までの大きさがあり、4帖から6帖がもっとも適しているらしい。
午後3時、花火の合図で凧揚げ合戦が終わると、夜は78か町が順次参加の御殿屋台の引き回しと練りが始まる。
街中が法被を着込んだ、人、人、人の波に変わっていく。
何千人規模の練りの始まりだ。
ラッパ・太鼓に威勢のいい「ヨイショ、ヤイショ」の掛け声が深夜まで響き渡る。
子供の頃からこんなまつりを体験したら、リオのサンバ・カーニバル状態で一生忘れられない。

芳川町神出組の凧 中山町の凧
萩丘の凧 高丘町の凧
船越町の凧 冨塚町西の凧

浜松っ子にとって、この日が元旦のお祝いなんだと思う。普段は言葉も交わさない人でも、この日は一体感に浸り仲良くなれる。子供から若者、年配者に至るまで、市民総出のおまつり。
若衆たちの粋な姿や綺麗に化粧をし、髪を飾り付け法被を着た、いなせな女の子達をウォッチングするのも、このまつりの楽しみ方のひとつと言える。
 
* 初凧・長男が生まれたらその子の成長を願って子供の名前入りの凧を揚げる風習の事。以前は町内の長男だけに限られていたが、少子化により、町外、県外、女の子も祝いをするように変わってきた。

練り 旗持ちの人
田町の御殿屋台

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