稲冨流砲術隊員

今日がデビューの女性隊員
陣太鼓 隊員入場 火付け
玉込め

時折雨が強く吹きつける中、黄金週間の最終日、奥三河鳳来町に『第39回・長篠合戦のぼりまつり』を訪ねる。
ここ長篠・設楽原の戦いは、戦国時代最強と言われた甲斐の武田軍が誇る騎馬軍団に対し織田・徳川連合軍の馬防柵と足軽鉄砲隊による明日を賭けた、戦国時代の戦いの中でもターニングポイントとなったところである。
この戦で戦死した多くの両軍将士の霊を慰めるため、両軍将士の定紋入りののぼりを数千本、献植して行われるまつり。

鉄砲に因み、長篠・設楽原鉄砲隊や、米沢藩稲冨流砲術隊による火縄銃射撃の実演もある。
米沢藩の30匁筒は、威力と発砲音が雷の如く大きい為、『上杉の雷筒』と言って恐れられたとの事。

匁とは尺貫法における質量の単位で3.75gにあたる。又、真珠の質量単位として国際的に使用されておりこの場合momという略号が用いられる。

余談では在るが、火縄銃が伝来した1543年以前には、日本にネジは存在してなかった。
それまで日本の武具等は全て「かしめる」という方法を用いていた。火縄銃には尾栓を止める為にネジが使われていたので、この時初めて日本に「ネジ文化」が伝来した。

長篠・設楽原鉄砲隊 のぼり

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